海上文化都市誕生の経緯
1950年代後半から始まった高度経済成長に伴い、神戸港の取扱貨物量は急増し、既存港湾設備の処理能力は限界を超えていました。神戸市は神戸港の中心に新たな埠頭の建設を計画、これに伴い港湾施設の背後地に新たな都心作りを進める海上文化都市「ポートアイランド」案が浮上しました。それまで埋立地に港湾施設や重化学工場を建設する例は幾つもありましたが、一から新たな都市造りを海上で行う例は他にありませんでした。
1966年4月、日本初の海上都市ポートアイランドの造成が着工されました。1981年、整備事業が進む中、街開きを記念し「神戸ポートピア博覧会」が盛大に開催されました。日本初の全自動新交通ポートライナーが既成市街地と人工島を結び、ゾーニングによって有効用地利用が図られたました。業務地区では大規模ホテルやコンベンション施設が整備され、企業誘致により本社・研究施設の集積が進められました。住宅地区では公団・市・民間による大規模な高層住宅群が誕生し、周囲には最新の港湾設備が完成しました。こうして「まち」と「みなと」が共存する海上文化都市が出現したのです。
ポートアイランドが日本のベイエリア開発に与えた影響は非常に大きく、バブル期に計画された多くの事業(主に首都圏に位置する臨海副都心・みなとみらい21・幕張新都心等)がポートアイランド開発手法を手本にしたと言われます。
ポートアイランドの高層建築
埋立地での高層建築の実現性に関して、地盤構造の調査と研究が進められた結果、他の地域と比べて耐震特性に問題はないことがわかりました。こうしてポートアイランドが完成した80年代初頭から新しい都市の象徴である超高層建築が次々と建設されました。
神戸ポートピアホテル
神戸ポートピアホテル 中央区港島中町
1981年、ポートアイランド完成と共に開業した今も昔もポートアイランドのランドマーク的存在のシティホテルです。神戸が全国に先駆けて進めてきたコンベンション都市構想の核施設として、国際会議場・国際展示場と共に誕生しました。神戸初の本格的超高層シティホテルとしても注目を集めました。
ダイエー創業者中内功氏の弟である中内力氏が設立・建設した大規模ホテルで、このホテル開業以前には200室規模のホテルしかなかった神戸にも「国際都市として本格的なシティホテルが必要」という認識を持ち、今では国内でも当たり前になっているホテルと国際会議場の複合施設をアメリカで視察。帰国後、当時の宮崎市長に国際コンベンションホテルの必要性を訴えたと言います。
日本ではまだ馴染みのなかったコンベンション都市を目指し、神戸市、兵庫県、地元財界の協力を得て1981年に開業したのが日本初の国際コンベンションシティホテルとなる神戸ポートピアホテルなのです。1983年 神戸市は全国初の「コンベンション都市」を宣言し、このホテルはその象徴となりました。
また敷地内には1988年に南館、1997年には新たな大ホール「ポートピアホール」が完成しました。超高層ビルである楕円形の本館は船をイメージしています。この建物がもし新港突堤地区にあったらとても映えたのでしょうね。
神戸ポートピアホテル
規模: 地上32階 地下2階 塔屋1階
高さ: 112.0m(軒高111.4m)
敷地面積: 29,400m²
建築面積: 9817.63㎡
延床面積: 62,295,110㎡(本館)
設計: 日建設計
施行: 竹中工務店
竣工年月日: 1981年2月
所在地: 神戸市中央区港島中町
ワールド本社ビル
ファッション都市宣言をした神戸市を牽引する役目を担うファッションタウンにはアパレル企業が集積しています。1984年、三宮に本社を構えていたアパレル大手の「ワールド」が、この地区に超高層オフィスビルを建設、本社機能を移転させました。完成時は神戸で最も高い建物とであり、現在でも白亜の超高層オフィスビルはポートアイランドで最も高い建物です。最上階の26階にはかつて夜景の美しいレストランBar「VandV」が営業していました。
ワールド本社ビル
規模: 地上27階 地下1階 塔屋1階
高さ: 117.4m(軒高111.9m)
敷地面積: 4,123㎡
延床面積: 34,844㎡
設計: 竹中工務店
施行: 竹中工務店
竣工年月日: 1984年2月
所在地: 神戸市中央区港島中町
ポートピアプラザ
業務施設の集中するインターナショナルスクエアに隣接した住宅地区では民間高層集合住宅事業コンペを行い、超高層棟4棟を中心とした計画の三菱地所案が採用されました。三菱地所、三菱商事、川鉄商事、大林組の4社の共同事業として進められました。
当初、超高層棟の高さは104mを予定していました。1983年に超高層棟A棟が完成し、その後、残りの3棟(B~D棟)も順次建設されました。
当初、超高層棟の高さは104mを予定していました。1983年にまず第一期工事として超高層棟A、B棟が順次完成しましたが、その後、第二期工事は中断。その後、1986年から工事を再開し、残りの超高層棟であるC、D棟も1989年前に全ての完成を迎えました。総戸数856戸という巨大なマンション群です。
神戸ポートピアプラザ
規模: 地上25階 地下1階 塔屋1階
高さ: 74.3m
構造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積: m²
延床面積: ㎡
設計: 三菱地所
施行: 大林組
竣工年月日: 1984年7月~1989年7月
所在地: 神戸市中央区港島中町
パークシティ神戸
ファッションタウン地区の一部として開発が進められた同地区では三井不動産が超高層住宅の建設を進めました。建物は1984年に竣工しています。
80年代前半に突如、三宮の沖合いに出現したポートアイランドは高層建築が林立し、その谷間を無人新交通が走り抜けるという文字通りの近未来都市だったのです。地方博としては最大規模であったポートピア博覧会の大成功に引き続き、企業誘致、住宅販売等も全て順調に進んだ日本初の人工島開発の成功は、全国の地方自治体が「株式会社・神戸市」の経営手腕に注目する大きな要因となりました。
更に85年には「ユニバーシアード神戸大会」が開催され、飛ぶ鳥を落とす勢いを持った市は、バブル経済の膨張により更に開発拡大をエスカレートさせていき、より多くの超高層ビルが誕生していくことになるのです。
コラム 神戸の高層ビル史 ~第2部・ポートアイランドの出現~
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今から30年前ぐらいは このポートアイランドがニューヨークマンハッタンみたいな街並みになるのではと期待しておりました。24時間モノレールが走ったりと 昭和時代から関西のマンハッタンと 妄想しておりました。
ポートアイランドの衝撃は語るに余る物があるでしょう。
あの「ゴダイゴ」が、光と波の街をイメージしてメインテーマソングを書き下ろしていたのですから。
今で言えばSMAPや嵐が、神戸のポートアイランドを絶賛して書き下ろしのテーマソングを連日唄うような状況です。
そんな日々が現実にあったのです。
参考にすべきは、当時の神戸市でさえ、何もないところからポートアイランドという大コンテンツを生み出したと言うことです。
世界の情勢や国内景気など、憂慮する点は沢山ありますがそれは国内であればどの自治体も同じです。
無から有を生み出した当時の「株式会社・神戸市」の再演を、なんとしても近いうちに見てみたい物です。
前にも書きましたがポートアイランドは神戸人にとって、いや私にとっても特別な場所です。
初めて父に連れられてポーアイの土を踏んだ時、広大に広がる埋め立て地を見てアメリカの荒野の地平線を想像しました。
ここに未来都市が出来上がる。
そう子供心に胸が躍ったのを思い出します。
その10年後、この未来都市の青写真が次々と発表されました。無人の新交通システム、コンベンション都市構想、そして地方自治体初の博覧会ポートピア‘81が開催され大成功。まさにポーアイはドリームアイランドであったのです。
悔しいのは神戸市が打ち出す都市計画に大阪、東京が追従して、2,3倍の規模で踏襲すること。でもそれぐらい当時の神戸は独創性と活気に満ち溢れた街だったと思います。
わたしはポーアイ開発はまだ夢の途中だと思うんです。だからこそ、もう一度ポートアイランドの【真の復活】を望んでやまないのです。
黒霧さん
摩天楼にはなり損ねてしまいましたが、当時の勢いは今となっては驚愕的ですね。
カンさん
震災以降、都市開発に予算を十分に充当できなかった神戸市ですが、今後は増額するようです。新しい夢を見れることを期待したいですね。
kenkenboobooさん
神戸は必ずもう一度返り咲く日が来ると思っています。