コラム

コラム 神戸の高層ビル史 ~第1部・神戸超高層時代の夜明け~

今から遡る事約14年前。「神戸高層ビルウォッチャー」というウェブサイトを立ち上げました。本ブログの前身とも言えるホームページで、約2年間運営していました。諸事情で同サイトは閉鎖してしまいましたが、5年のブランクを経て、ブログという形で再開したのがこの「こべるん」です。先日、あるきっかけで当時のアーカイブを久しぶりに見る機会がありました。サイト内で「 」というコラムを掲載していたのですが、当時の読者の方には好評でした。5~6部構成で完結のつもりだったのですが、3部の時点でサイトを閉鎖してしまったので、結局、未完のままでした。コラムを改めて読んでみて、自画自賛ですが、なかなかよく出来ていたので、再度、完成させてみたいという意欲が出てきました。今回は内容や写真も当時より少しブラッシュアップしてお届けしたいと思います。

神戸の高層ビル史

~第一部・高層ビル時代の幕開け~

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神戸商工貿易センタービル 中央区浜辺通

関西初の超高層ビル「神戸商工貿易センタービル」の誕生

1960年代、高度経済成長を迎えた日本国内は、オリンピック景気により新幹線や高速道路網等の大規模インフラ整備が進められ、東京・大阪をはじめとする大都市ではビル建設が活発化していました。1965年3月、東京・霞ヶ関にて総工費150億円を投じ、鹿島建設により日本初の本格的超高層ビル「霞ヶ関三井ビル(地上36階・高さ147m)」が着工しました。

神戸では、摩耶埠頭が竣工し、人工海上都市「ポートアイランド」の造成工事に着手、国際貿易港としての機能を着実に整えていました。その様な状況下で、更なる貿易発展のために常設展示場を持つ「貿易センター」を計画していた神戸市と新所屋建設を計画していた神戸商工会議所が施設の一本化を検討した結果、「神戸港開港100周年」を象徴し、貿易・海運等の経済機能を集中させた「貿易・商工センター」の共同建設という結論に辿り着きました。これに神戸貿易協会が加わり関西初・西日本初となる超高層ビル「神戸商工貿易センタービル」計画が本格的に動きだしたのです。

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中央区浜辺通5丁目の三井不動産所有地を建設用地と決定、建設省や日本開発銀行との特定街区指定や融資等の折衝を経た後、1966年7月には日建設計に基本設計を依頼しました。翌年8月、「株式会社・神戸商工貿易センター」が設立され、9月には当時、霞ヶ関ビルを施工中の鹿島建設を施工業者として選定しました。そして11月4日、起工式が行われ、待望の着工となりました。

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そして翌年10月、約2年の歳月をかけた工事が遂に終了し、国内第2番目・関西初・西日本初の超高層ビル「神戸商工貿易センタービル(地上26階・最高高さ110.6m)」が誕生したのでした。開業当初は最上階の26階には展望台が設けられ、神戸ポートピア’81の開催期間中には5万人を越える来場者があったと言います。しかし80年代後半には超高層の神戸市庁舎1号館が完成し、無料展望ロビーを開設した影響を受けて貿易センタービルの展望台は閉鎖され、最上階は今では貸会議室となっています。

2003-2005年にはビルの省エネルギー化と改善を図る大規模改修工事を実施し、竣工後30年以上を経て色褪せていた外壁も真新しくなりました。最近では米国物流大手のDHLジャパンが関西支社を同ビルに開設したことが記憶に新しいです。最近でも東京に本社を置いているコンクリート鉄筋探査機製造・販売を行うキーテック社が同ビル内に置いている関西支社を本社に昇格させ、市と県の補助金制度適用が報道されました。ビルは神戸市の外郭団体である株式会社神戸商工貿易センタービルが所有・運営しています。

神戸商工貿易センタービル
規模: 地上26階 地下2階 塔屋1階
高さ: 軒高107m 最高高さ110.6m
構造: 鉄筋コンクリート造1F 鉄骨鉄筋コンクリート造2F-26F 鉄骨造塔屋 鉄骨鉄筋コンクリート造
建築面積:  1,421.60㎡
延床面積: 43,644.38㎡
設計: 日建設計
施行: 鹿島建設
竣工年月日: 1969年11月
所在地: 神戸市中央区浜辺通

神戸港開港100周年を記念して建設された神戸商工貿易センタービル。奇しくも開港150年を迎えようとしていますが、この当時に100m級の西日本初、国内2番目の超高層オフィスビルを誕生させた事は恐らく現在の神戸に300m級のビルを建設する事に匹敵する位、気概のある事ではないでしょうか。それ位、夢のあるプロジェクトであり、当時の神戸に勢いがあったことを感じさせます。

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兵庫駅前ビル 兵庫区羽坂通

市街地再開発事業の先駆けと高層建築の台頭

1970年前半、全国に先駆けて神戸市は至る所で大規模市街地改造事業を進めました。これらの事業手法は現在、主流となっている高層建築をメインとしたものでした。当時、東京・大阪等の大都市では高層建築の建設はオフィスビルが大半を占めていましたが、神戸ではいち早く高層住宅の建設が進められたのも特徴的です。

「兵庫駅前ビル」は、神戸市が取得した国鉄兵庫駅前の北側にあった山陽電鉄の旧兵庫駅跡地に旧日本住宅公団が東棟、西のツインタワーから成る高層住宅(地上20階・高さ71m)を建設したものです。公団としては全国で最も高い建物として1973年に竣工しました。低層部に商業施設や勤労会館、講堂、保育園を配し、高層部に住宅を整備した複合再開発ビルです。今では老朽化が激しく景観上の懸念も指摘されますが(最近、高層棟はようやく大規模修繕が施されました)、竣工当時はステイタス性、シンボル性の高いタワーマンションだったと思われます。

兵庫駅前ビル
規模: 地上20階 地下1階
高さ: 71m
建築面積: 5,411㎡
延床面積: 38,388㎡
用途: 共同住宅・商業施設・公共施設
竣工: 1973年
設計: 住宅公団、東畑設計
所在地: 神戸市兵庫区羽坂通

shinnagataekimaebiru.jpg新長田駅前ビル 長田区若松町

「新長田駅前ビル」は市の”西神戸副都心構想”の核として事業化された再開発ビルです。兵庫駅前ビルと共に検討されたため、こちらも公団方式を採用した再開発事業となりました。駅前南の旧国鉄宿舎跡地に地上25階・高さ82mの高層ビルが計画されました。1977年の竣工時には、兵庫駅前ビルを抜き日本一高い公団ビルとなったのです。こちらも兵庫駅前ビル同様に低層部に商業施設、高層部に住宅を配した建物になりましたが、最上階には展望レストランが設けられたのが特徴です。また商業施設には百貨店が入居し、新長田が神戸の副都心であることを体現した再開発ビルとなりました。

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2013年1月には中核テナントであった大丸新長田店が閉店・撤退。35年の歴史に幕を閉じました。後継として東急不動産が同社の商業施設ブランドである東急プラザ新長田を開業。また地下1階には西友が出店しました。これら新規商業施設の開業を機に、建物外観も大規模修繕・改修が行われました。

新長田駅前ビル
規模: 地上25階 地下3階
高さ: 82m
建築面積: 6,564㎡
延床面積: 59,789㎡
用途: 共同住宅・商業施設・公共施設
竣工: 1977年
設計: 山下設計、住宅公団
施工: 大林組
所在地: 神戸市長田区若松町

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さんプラザ・センタープラザ 中央区三宮町

神戸の表玄関である三宮地区。その中心的存在のセンター街は、低層木造建築の密集地でした。1966年、市はこの地区の改造事業に着手し、さんプラザ(1970年)、センタープラザ(1972年)、センタープラザ西館(1978年)と3棟の大規模商業・業務ビルを順次建設しました。特に1972年に竣工した「センタープラザ(地上19階・高さ90.1m)」は商工貿易センターに次ぐ大規模オフィスビルとして注目を集めました。

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三宮センタープラザ
規模: 地上19階 地下3階
高さ: 90.1m(軒高75m)
構造: 鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積: 6,313㎡
建築面積: 6,263㎡
延床面積: 55,044㎡
用途: 事務所・商業施設
竣工年: 1972年7月
設計: 神戸市、日建設計
所在地: 神戸市中央区三宮町

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これら60~70年代に建設された神戸高層ビル時代のパイオニア的存在の建物は改修はされているものの老朽化が激しく築50年を越えてくると建替えも視野に入ってくることになります。

かつて「株式会社・神戸市」とまで呼ばれた市の開発手腕は、全国地方自治体の教本となる存在でした。都心部の改造事業のみならず市営地下鉄、神戸高速鉄道、ポートライナー等の輸送機関の整備を図り、市西部、北部、南部に大規模ニュータウン造成を進めました。これらの開発が更なる神戸の高層ビル建設に拍車を掛ける布石となりました。そして黄金の80年代を迎えることになるのです。



POSTED COMMENT

  1. 関西人 より:

    いつも楽しみに見ています。これからも宜しくお願いします。

  2. るちあ より:

    懐かしいです~!貿易センタービル!
    幼い頃、家族で出かけ、そのあまりの大きさに呆然とした記憶か(^◇^)
    確か、最上階には回る展望台兼喫茶室があったのですよね。
    その後、学生時代に資格試験の申し込みに行った記憶がありますが。
    今はポートライナーに乗って、横を通り過ぎるくらいかなあ。

  3. いけのん より:

    貿易センタービルが当時日本で二番目に作られた高層ビルとは知りませんでした。
    あとひとつ訂正しておきたいことが。DHLは発祥は米国ですが、本社はドイツの会社ですよ。

  4. ターボ より:

    いつも楽しみに拝読しております。
    神戸人には馴染みの深い建物から街の発展と歴史がわかりやすく伝わります。
    貿易センタービルといえば、横並びのサンボーホールに幼少期によくファミリアの催事に母に連れられました。
    いまでもポートライナーに乗るたび、あの特徴的な色の貿易センタービルと共に当時の思い出がよみがえります。

  5. kenkenbooboo より:

    このコラムの記事を読んでいて、管理人さんとわたしはほぼ同世代なのかなあと印象を受けました。
    それぞれの建築物は出来た当時のことを鮮明に覚えています。
    わたしは中学生の頃に「タワーリングインフェルノ」というパニック映画を見たおり、超高層ビルにハマりました。

    災害映画なのに、まさに当時の日本にない光景に感動してしまったんですね。
    それ以来、神戸新聞に掲載される超高層建築の記事を見つけるたびスクラップしたり、ノートに概要を書きつけたり、後は都市計画の構想を自分かってに夢想していたんですよね。だから代表的な超高層ビルの高さや階数はだいたい空で言えるぐらいになっていました(当時の東京、大阪、横浜までも)。

    バブル期には、次々と発表される新しい都市構想や超高層ビルの計画に大喜びしたものです。ただ震災以降神戸の都市計画は衰退し、都市的規模や産業的規模において大阪に差をどんどん広げられるばかり。東京に至っては欧米並みの超高層ビル街へと成長変貌を遂げました。まったく悔しい限りの、神戸にとって「失われた20年」ですよね…。

    次の記事にはたぶん新神戸オリエンタルホテル、ポートピアホテル、ワールド本社、神戸新庁舎などが登場するのでしょうが、この再開されたコラムの最後は、待望するJR三ノ宮駅ビルの話題で閉められるといいですね。

  6. tet より:

    神戸高層ビルウオッチャー、当時そちらのサイトを見付けた時にはうれしさの余りドキドキしながら拝見させて頂きました。高層ビルの竣工やら計画の記事などが頻繁に更新されていましたね。商工センタービル、誇らしかったです。ツインタワーの兵庫駅前ビル、センタープラザ、次々に完成する建築物。当時は躍動感にあふれていました。さんプラザのトヨタ、交通センタービルのサントリーの広告塔、新世紀のミラーボールなど神戸はキラキラしていました。懐かしさでいっぱいです。いうもありがとうございます。

  7. sirokuma より:

    そうだよなぁ。
    時代背景が違うという方もいらっしゃるが、今の神戸市政に一番欠けているのはドキドキ感なんだよなぁ。理屈じゃないんだよね、見ているだけで子供も大人も誇らしくなるようなそんなプロジェクトが欲しいですね。
    そんなプロジェクトの存在は街を明るくし、人を育てる力がある。市職員の人達には、様々な古いしがらみに囚われず自由な発想で市民に大きな絵図を描いて見せそれを実現させる。そんな喜びを味わってほしいなぁ。Change!

  8. しん@こべるん より:

    関西人さん
    こちらこそよろしくお願いします。

    いけのんさん
    ご指摘ありがとうございます。記事を修正致しました。

    ターボさん
    サンボーホールもかなりくたびれた感が出てきてしまっていますが、催事場としてはポーアイよりも近くて便利なので、もっと有効活用して欲しいですね。

    kenkenboobooさん
    次のコラムの展開まで予想頂き恐縮です。私も90年代までに建てられた全国の高層ビルは全て認識していたのですが、もう増えすぎてついていけなくなっています。神戸だけ精一杯です・・・。

    tetさん
    高層ビルウォッチャー時代からご覧頂いていたのですね。ありがとうございます。これからの神戸にも躍動感を期待させる夢のあるプロジェクトが出てきて欲しいですね。駅ビル開発はその布石になるはずですので。

    sirokumaさん
    まさにその通り。身の丈云々ではないんですよね。そういった大きなビジョンがない街や企業はなれの果ても小さくまとまっておしまいなんです。

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